
花火師達の“一瞬”への想い~大曲の花火~
毎年8月第4土曜日に行われる全国花火競技大会「大曲の花火」は、全国の花火師達が目標とする日本最高峰の花火大会であり、秋田県が全国に誇る行事の一つである。
数ある花火大会の中でも内閣総理大臣賞が与えられるのは、大曲の花火と「土浦全国花火競技大会」の2つだけであり、大曲の花火は名実ともに全国トップレベルの大会といえる。そのため、腕利きの花火師達が競い、打ち上げる花火は毎年多くの花火ファンを魅了し続けてきた。 大曲の花火は、明治43年に「第一回奥羽六県煙火共進会」として開催されたのが始まりだ。その後、大正4年に「全国花火競技大会」へと名称を変え、昭和、平成と時を経て、今年で100年を迎える。
「この節目の年にどれほど素晴らしい花火を見ることができるのか?」、「花火師達は100年という記念の年にどんな想いで花火を打ち上げるのか?」こんな思いを抱きながら、北日本花火興業の今野義和さんに「大曲の花火」についてお話を伺った。
取材協力:株式会社 北日本花火興業
お話:代表取締役社長 今野 義和さん
「型物」を次代へ引き継ぐ~未来花火のパイオニア~
秋田県大仙市神宮寺にある北日本花火興業は、技術の高さから秋田のみならず全国から注目を集めている。「麦わら帽子」、「三角すい」、「かざぐるま」など個性溢れる形やモチーフを表現する「型物花火」と呼ばれる創造花火を得意としている。
北日本花火興業の歴史は、明治32年に初代今野米松さんが煙火製造免許を取得したことで始まった。創業当時は、イベントや祭りよりも地域の奉納行事として花火を打ち上げることが多く、長い間半農半工で続けていたが、20~30年前からイベントやショーとしての花火の需要が増えたことにより専業に切り替えたという。
得意としている創造花火は大曲が発祥の地だ。音楽に合わせて花火を打ち上げ、テーマを表現していく。音や光、色、全てを使って演出された花火は、まるで一つのショーのようで、子供から大人まで誰もが楽しんで観ることができる。
北日本花火興業は「インターネットで情報スクランブル」「アインシュタイン光の方程式」「アフロでキメる俺のヘアースタイル」など個性的なタイトル表現とストーリー性が魅力で、そのテーマを確かに表現する技術を誇っている。
金色の星がはじけるアフロヘア。【アフロでキメる俺のヘアースタイル】

花火は丸いものというイメージを覆す、立体的な形。【立体図形「三角すい」への挑戦。】
発想の原点
我々の目と心を存分に楽しませてくれる今野さんの花火の発想の原点は、見ることにあるという。オフシーズンには花火の有無は関係なく、様々なイベントを見に行くそうだ。「何がヒントになるのかわからないので、そこで、自分だったらどうするかと考えます。そうして考えているときに良いアイデアが浮かんでくることが多いですね。」と話す。花火の構想を練るのは冬期間で、試し打ちを行うにも周りに雪があるから安全、というメリットがある。
また、創造花火に欠かせない要素である音楽は、時代の流行を敏感に感じとる必要があるという。「花火先行で音楽をつける場合もあるし、その反対に音楽先行の場合もある。この曲を花火で演じてみようっていう。その場合、来シーズンに流行りが終わっている場合があるので、曲の見極めが大切です。」と今野さんは話してくれた。

星に火薬をつけて大きくするための「星掛け」を行う機械。1日に2mmずつ大きくして、乾燥させる工程を何度も繰り返す。玉が開いたときに光を出す星は花火の命だ。

星を遠くに飛ばすための役割を持つ割薬。
玉の中に星と割薬を詰めたところ。真ん中の和紙に割薬が入っている。

「玉貼り」の作業。打ち上げの威力に耐えることができ、打ち上がってからは星が綺麗に広がるように、均一にクラフト紙を貼っていく。

紙を貼った玉は乾燥室に。玉貼り作業と乾燥作業を繰り返し、10日程度で玉は完成する。

高さが人の肩ほどまである赤い筒は10号玉(重さ約9kg)を打ち上げる筒。
このようにして一年という長い時間をかけて構想、制作された花火は花火大会のシーズンである7、8月でその多くが消費される。
ところで、何故花火は秋田県に根付いたのだろうか?雪国の秋田県は日照時間が全国でも少なく、花火玉を乾燥させる工程にハンディキャップを抱える。そのため乾燥室を設備している花火業者が多く、コストがかかるというデメリットがある。その一方で天候に左右されず、年間を通して制作に打ちこめるというメリットもある。
さらに、秋田県が米どころであることが大きく関わっている。玉貼り作業に使用する糊は米から作られているのだ。この糊は水に簡単に溶けて、乾燥すると固まり、固まった物に再び水を加えると溶けるという性質を持っている。良い花火玉は、良い米からつくられるのである。
もちろんそれらだけではなく、花火を日常的なものとして捉え、大切にしていきたいと思う地域の人たちの気持ちも欠かせない。それに応えるように花火師が地域を盛り上げているのだ。
100年を迎える「大曲の花火」
大曲の花火は、昼花火の部、夜花火の部の2部門、さらに夜花火は割物花火と創造花火の2部門から構成され、技が競われる。
「27もの花火師を集めること自体が難しいこと。それぞれの個性溢れる花火が打ち上げられ、花火の向こう側にある各花火師のポリシーや信念、心が伝わってくる。花火はライブであり、その日その瞬間しか味わえないものを楽しむために会場に足を運んでほしい。」と今野さんは大曲の花火について語る。
花火師達が一年をかけ、この日のためにつくった花火を贅沢に楽しめる大曲の花火を生で楽しもうと当日は毎年数十万人の観客が押し寄せ、会場は興奮と熱気に包まれる。
大会提供の全長500メートルに渡るワイドスターマイン(連射連発花火)は大変な人気で、毎年テーマに合わせて音楽、演出、打ち上げ順など綿密に計画された花火が5~7分に渡り打ち上げられる。通常は何十分もかける量の花火を一気に打ち上げるため、豪勢で満足度の高いプログラムに圧倒されてしまう。
100年を迎える記念大会への意気込みを伺うと「賞にこだわらず、お客さんの期待に沿うこと、そして無事に打ち上げること。やはり100年という長い歴史の中で印象に残るような大会にしたい。」と力強く話してくれた。「花火を打ち上げる前には、何千、何万発と花火を上げても、変わることのない期待と不安があります。しかし、極度の緊張とそれから解き放たれた時の充実感があるので続けていける。」と今野さんは笑った。
大会提供花火は息をのむ迫力と美しさで、観客を魅了して止まない。

大曲の花火100年の専用筒。今大会はすべての花火師達がこの筒で打ち上げる。
想いが伝わる花火
今野さんは多様化する観客のニーズに応えるために、伝統を守りつつ新しい花火にも積極的に挑戦している。今後どんな花火を作っていきたいのか聞くと「創造花火など私が今作っている花火が評価されていることは時代に合っているということ。ですから、このスタイルを貫いて行きたいと思います。反対に評価されなくなれば時代に合っていないということなので、その時にまた違うものを考えますね。」と語った。この柔軟なスタイルが多くのアイデアを生む秘訣なのかもしれない。
また、今野さんは「花火師の想いが観客に伝わると花火は芸術の域に達する」と考えている。「想いはきっと伝わります。伝わるから花火で感動し、泣けてくるということがあります。花火の奥の何かが見える。抽象的ですが、そういう花火を目指して作っていきたい。」と語ってくれた。
終わりに創造花火の考案者である佐藤勲さん(平成8年に85歳で死去)の言葉を紹介したい。佐藤さんは大曲の花火の大会実行委員長を務め、全国の花火師達にその名を知られる存在だった。昭和62年にベルリン市制750周年を記念した祭典で日本の花火の打ち上げた時には、佐藤さんは団長を務め、会見で次のように述べた。
「ベルリンの地上には壁がありますが、空には壁がありません。
日本の花火はどこから見ても同じように見えます。
西のお方も、東のお方も楽しんでください。」
打ち上がった花火は壁に隔てられた東西のベルリン市民から喝采を浴びたそうだ。時代はまだ東西冷戦期だったが、夜空を絢爛に彩る大輪の花火の前では、争いなどはそこに存在しなかったのだろう。国籍や言葉、文化、思想は違っても、佐藤さんの花火に込められた想いは伝わったに違いない。奇しくも、この言葉の2年後にベルリンの壁は崩壊した。
一瞬の儚さゆえ、日本人はこれほど花火に惹かれ、毎年の夏を楽しみにするのだろう。しかしそこには一瞬の時間のために長い時間をかけ花火を作り出す花火師達の想いがあることを忘れてならない。100年を迎える今年の大曲の花火は、全国から集まる27の花火師達が創り出す花火の最高級の技や美しさはもちろん、そこに込められた想いも存分に感じてみてはいかがだろう。
株式会社 北日本花火興業

明治32年創業の伝統の技と柔軟で新しい発想による新型花火を作り出している。全国花火競技大会「大曲の花火」を始め、全国各地の花火大会で数々の受賞歴があり、「麦わら帽子」や「アフロヘア」などのユニークな型物花火は高い評価を得ている。
〒019-1701 秋田県大仙市神宮寺下金葛320
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